📚 ヒッチハイクシリーズ
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まさかの立命館大学
「少し待っていてください。車を綺麗にしますね。」
私達に声をかけてくれたお母さんはそう言って一度車へ戻り、数分後に再び私たちのもとへ来てくれた。
こうして、人生初のヒッチハイクで人生最初の一台に乗ることに成功した。
話を聞くとお母さんは鳥取県に普段住んでいるらしく、大学1年生になる一人娘がいるという。
車が走り出して間もなく、お母さんが聞いてきた。
「あなたたち大学生?」
「はい、そうです!」
「どこの大学に通ってるの?」
「二人とも立命館大学です!」
すると、お母さんが驚いた表情でこう言った。
「え!?!?」
驚くのも無理はなかった。
なんとお母さんの一人娘も立命館大学に通っていたのである。
しかも娘さんは鳥取県を離れ、一人暮らしをしながら、私の相棒と同じ琵琶湖草津キャンパス(BKC)に通っているという。(立命館大学にはキャンパスが複数あり、そのうちの滋賀県にあるキャンパスがBKC。私の相棒とお母さんの娘は同じキャンパスに通う学生だったというわけだ。)
偶然乗せてくれた人の娘さんが、まさか私たちと同じ大学だったとは。
この事実が分かった瞬間、車内の空気は一気に和み、会話は驚くほど盛り上がった。
なぜ滋賀へ向かっていたのか
私たちがお母さんに真っ先に質問したのは
「今日はどうして滋賀まで来ていたんですか?」
というもの。
前述した通り、お母さんは普段鳥取県に住んでいるからこそ、関西で私達を拾ってくれる状況にあることが不思議でたまらなかったからだ。
すると、お母さんはこう答えた。
「娘と東京で待ち合わせをしているの。」
聞くと娘さんは大学へ通いながらモデル活動もしており、この日は東京の人気美容室へ髪を切りに行っていたそうだ。
予約の都合で娘さんが先に東京へ向かい、お母さんは後から合流する予定だったという。
ではなぜ最初に私達に声をかけた際、私たちを「滋賀までなら乗せていく」と言っていたのか。
それは滋賀県のサービスエリアか、BKCに通う娘さんの下宿先へ車を置き、その後新幹線で娘の待つ東京へ向かう予定だったからだ。
つまりもともと東京方面へ向かう予定ではあったものの、車をどこで置くかだけが決まっていなかったのである。
そんな中でたまたま私達と出会い、車に乗せることになったのだった。
まさかの予定変更
だが事前に「滋賀県までしか乗せない」とお母さんが私達に告げていたこの予定は大きく変わることになる。
それは滋賀まで向かう30分の間の会話で、お母さんは心底私達の事を気に入ってくれたからこその急な心変わり・予定変更だった。
その心代わりとは「あなた達の行きたい場所まで車でどこまでも連れて行ってあげる」というもの。
最終的にお母さんは滋賀で私たちを降ろすことなく、本来の最終目的地である東京までであればどこまででも乗せていってあげると言ってくれたのだった。
つまり
今回のヒッチハイクの目的地にしている場所まで車一台で到着できたのだ。
これが、前回Part1の最後で私が
「このお母さんが今回の物語の主人公です。」
と書いた理由である笑。
一番聞きたかったこと
この時点で「東京までであればどこであっても降りられることが確定した」こともあり、とにかく目的地が何も決まっていないままではあったが、滋賀を超えて東京方面に車を走らせることになった。
これによって生まれた「大きな時間の余裕(ドライブ時間)」によって、車内ではお互いのことを赤裸々に話すこととなる。
大学のこと。
住んでいる場所。
これまでの話。
そして、私が一番聞きたかったことを尋ねた。
「なんで僕たちを乗せてくれたんですか?」
結局のところ、この質問はこの旅で私達を乗せてくれた人々すべてに聞くこととなる。
だがこの同じ質問であっても、私の中でこのお母さんに対する質問だけは特別な意味を持っていた。
人生で初めてのヒッチハイク。
そして、最初に乗せてくれた人。
だからこそ「なぜ私たちだったのか」をどうしても知りたかったのだ。
お母さんが挙げた理由は、大きく二つだった。
- 私たちに清潔感があったこと
- 昔の自分を思い出したこと
以下ではこれら2点を説明していく。
「ヒッチハイカーらしくなかった」
まず一つ目。
お母さんは笑いながらこう話してくれた。
「あなたたち、ヒッチハイカーっぽくなかったのよ。」
お母さん曰く、今まで普段住んでいる鳥取県で見かけたヒッチハイカーは、
- 服がボロボロ
- 荷物がパンパン
- 段ボールを大量に抱えている
など、
「それ、そもそも車に乗らへんやろ!」
と思うような人が非常に多かったそうだ。
だからこそ、
普通の私服。
コンパクトな荷物。
清潔感のある見た目
を持った私たちを見て、
「最近のヒッチハイカーって、こんなに綺麗なの?」
と思い、最終的に乗せようと思ったのだそう。
今思えば当たり前なのだが、やはり昔よりも物騒な時代になっているからこそ、このような「視覚的な部分」によって人を乗せるか乗せないのかを決めていたのだった。
二つ目の理由
そして、もう一つの理由。
こちらの方が、私にはずっと印象的だった。
お母さんは19歳の頃、カナダへ留学していたという。
その留学中に旅行をしていたのだが、あるアクシデントがきっかけで予定していた交通手段が使えなくなってしまったらしい。
そこで人生で初めて、
ヒッチハイクをするしかない状況
になったそうだ。
異国の地。
まだ20歳にもなっていない日本人女性。
複数人での行動とはいえ、間違い無く不安でいっぱいいっぱいの状況だったと思う。
その問題を解決してくれた人こそ、現地の人が乗せてくれた車だったそうだ。
ヒッチハイカーを助けてくれた車がいたからこそ、無事に目的地へたどり着くことができた。
お母さんは、その時のことを今でも鮮明に覚えていた。
「あの時、助けてくれた人がいたから今の私がある。」
「だから今度は、自分が誰かを助ける番。」
私たちを見た瞬間、そんな気持ちになったという。
この話をきっかけに…
カナダでのヒッチハイク。
最初は「昔こんなことがあってね」という何気ない思い出話だった。
しかし、この話をきっかけに、お母さんの人生そのものを聞くことになる。
そして私たちは、
「この人、本当に普通のお母さんなのか…?」
と思うような話をこの後次々と聞くことになるのだった。
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